トップページ | 生きなければならぬ意味 »

仏教と、苦しみの根元

昨年7月、埼玉県の中学生の女の子が、寝ている父親を刺殺するという事件がありました。彼女は、友だちから「まじめで優しく、部活動を通じて先輩や後輩に疲れていた」と評されていますし、成績上位者として校内に名前を掲示されたこともあったそうです。いわゆる問題のあった子ではなく、むしろ模範的な生徒だったのです。

その後の調べで、彼女は成績や人間関係に悩み、すべてを終わらせたい、と一家心中を計画していたことを告白しています。

昨年は千葉県の19歳の少年が、見ず知らずの人をクルマではねて死なせる事件もありました。取り調べに対して少年は「仕事のことで、父親に怒られ、直前にけんかをしてイライラしていた。だれでもいいから人をひいて殺そうと思った」と語ったそうです。

彼らは特殊な例だというのなら、一般の若い人はどう感じているのでしょう。

ある調査によると高校生の28%が「よくイライラしている」と答えていますし、半数は「よく疲れている」と答えています。[(財)日本青少年研究所「高校生の意欲に関する調査」平成19年4月発表]

屈託なさそうに見える笑顔の裏で、みんな生きづらさを感じているようなのです。何とかしてあげたくても、私たち大人がいつも何かにイライラしていて、疲れている。直接の原因は、そのつどあるのでしょうが、個々の原因を解決しても、やはりいつも悶々と苛立っているのですから根本的な解決になっていないに違いありません。

いつもイライラ、カリカリしていなければならない底には、本当の安心も満足も知らない暗い心があります。お釈迦さまは、人生を「苦」に染める根本原因を教えられ

     諸々の生死勤苦(しょうじごんく)の本を抜かしめたまえ

                      《『大無量寿経』》

「私達の苦悩の根源を断ち切ることが、仏法の目的である」と説かれました。如来金口の御教えに、心のこうべを垂れて従うべき時機が、全人類に来ている、と感じるのは私だけでしょうか。

|

トップページ | 生きなければならぬ意味 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514508/43727366

この記事へのトラックバック一覧です: 仏教と、苦しみの根元:

トップページ | 生きなければならぬ意味 »